日記

出身地は、仙台じゃない宮城

 全く更新できていないことに胸がズキズキ痛む私のWebサイト。数ヶ月に1回、ちゃんと「保守作業」をしてもらっていて、その連絡をもらうたびに申し訳ない気持ちになる。そうでなくても、ここ最近、日記を書きたいと思うことがあったり、下北で月日のアイスコーヒーを買ったついでに絵日記帳を買ってしまったりしている。料理家で友人でもあるしらいさんは、こまめに日記やSNSを更新していて本当に頭が下がる。鉄の意志なのかな、自然とできちゃうのかな。今度聞いてみよう。

表題の件。中学の同級生、ということは宮城県郡部出身の人の取材記事を読んだら「仙台市出身」「家業は仙台で〜」的な記述になっていて、あれれ??となった。いろんな意味で私はこの事象が大変気になる。ひとつ言っておきたいことは、まず宮城から上京した人が絶対に通ってきた道があって、それは「どこ出身?」「宮城です」「ああ、仙台!」というお決まりのパターン。「神奈川」の人が「ああ、横浜!」と言われるケースはもしかしたら多いのかもしれないけれど、「山梨出身です」「ああ、甲府!」はそんなにないような気がする。そのあたり周りの人にも聞いてみたいところ。とにもかくにも、宮城=仙台の受け答えを、20年以上うんざりするほどしてきた私にとっては、冒頭の事実と異なる表現について、同級生が「別に大した問題じゃないし、伝わりやすい方でいいや」と原稿を直さなかったのかもしれないし、最初からそう言ったのかもしれない。もしかしたらシティボーイ感出したかった?などなど、真意が気になるところである。まあ、どうでもいいことではあるんだけど。

だけど、このどうでもいいことについて、ちゃんと全国放送のテレビでもやりを伝えてくれた人が過去にいる。それがクドカン!今調べたら、『笑っていいとも!』のテレフォンショッキングに2003年と2005年に登場しているらしいので、どちらかを私は見ていたのだろう。2003年1月なら受験を控えた高校3年生、2005年なら暇な大学生。どっちとも有り得る。まあ、どっちかで見ていて、クドカンはお土産に萩の月ではなく、岩手の銘菓「かもめの玉子」をチョイス。「仙台じゃない宮城出身」であるという話題を一通り話していた記憶がある。あの日から20年以上、作品が好きなのももちろんあるのだが、ゆるーい連帯感をクドカンにはもち続けている。

なんだかまとまらない文章になってしまったが、私にとって「仙台じゃない宮城」出身であることはけっこう大事なアイデンティなのである。何が大事かは人それぞれ。人の「大事」を踏んづけないように、私も気をつけなくちゃ。ちなみに、誤字脱字を見つけたら、おせっかいでもなるべくすぐ伝えるようにしているが、今回は言わないでおいた。彼のなかではそういうことになっているのかもしれない。

4月第一日曜日は河川清掃

 毎年この日は河川清掃と発酵D東京の周年記念が被る。去年も今年も私が肉体労働に勤しんでいて、全くやぶさかではないが、組の高齢化を考えると、我が家は夫婦ふたり揃って参加した方がいいと思う。来年は絶対!!1年に一回だから最初は忘れているが、だんだんコツを思い出してきての清掃作業は楽しい。なんでも、なるべく楽しむ、効率よくするということを念頭におくと仕事は楽しい。明日、全身筋肉痛は免れないけれど。その後、楽しみにしていた銀月食堂のラーメンを食べに行き、桜の勝沼駅周辺を楽しみ、近所の福蔵院の餅まきに行き、人気の上条案に行くという休日満喫ルートを堪能。金土は東京で遊園地、友人と夜ごはん、おばあちゃん詣で、映画鑑賞(ドラえもん、できがよくなかったと思うけど)で、春休みって感じだった。明日から、仕事がんばろう。こちらは課題が山積みだ。

応援せずとも邪魔をしない

 夫、新著の宣伝に余念がない。魂を懸けて本を書いて、鬱々しながら3周巡り、書き終えてたと思ったら、「足りない」という直感で海外へ飛び、腹落ちして校了して、世界中に「ぜひ読んで!」と言える本を携えているのだからそりゃそうか。一番側にいる人がこういうテンションで本を書いているので、私自身に著作を出したい気持ちがほんのちょっとも芽生えない。

それはそうとして、今回の彼の執筆においては、「邪魔をしない」ということを一番に考えて、ただただ「へー」「いいね!」「そうなんだ」みたいな緩い肯定のテンションを保つことに成功。私も成長したなあ。上記のような執筆スタイルで生活しながら、平常の仕事も多忙を極めている人に「共働きで、協力して一緒に暮らす」みたいなことはまず無理だし、よくよく考えると私も別に期待していないのかも、と最近思う。

常人っぽくない夫を知っていると、私は支えているいい妻みたいに言われがちだし、悪い気はしないので「へへへ、まあそんなこともあるかな」という風情で受け答えちゃってごめんなさい! 全然そんなことはなくて、私は私で好きなように暮らしている。いろいろな夫婦や家族がいて、本当の中身まではわからないのは前提としても、私は、かなり自由に生きることを許されている妻であり母だ。夫は、妻だとか母だとかいう役割を着せて、私のやりたいことを阻害したことは一度もないし、そういう思考回路がゼロ。これからも、そういうことは起こらないだろう。いわゆる妻とか母とかの服を着ていたいわとチラと思うほどに、容赦なく個人としてしか見てくれない。でも、それでいいし、実際は私は私でしかない。私が夫のそばにいるのは、彼の生き方がおもしろくて、間近で見られるのは、妻の役得じゃん!ということに尽きる。支え合えたら儲けもん、お釣りのようなもの。大金払ってでも砂被り席で見ていて楽しい(波乱万丈ともいう)人生のそばにいられるのだから、これ以上夫婦として望むものはない。

最愛の猫

日々、何も終わらない。何とか生きている。そんな毎日を過ごしている。すべて心の持ちようだ!とも頭でわかっているのだけれど、自分のダメさばかりが浮かび上がってきてしまう。それでも、1mmずつでもいろいろと改善していこう、そんな数日を這いつくばって過ごしていた朝、我が人生、おそらく今後出会うこともないだろう特別な猫が急に天国に行ってしまった。急死ってこういうことなのか。たぶん、私が目覚めたときには元気にしていたのに、その数時間後に動かなくなった猫を発見した。まだ温かかったけれど、もう死んでしまっていた。まだ、頭も、心も、この状況を全く理解していない気がする。涙も出ない。13年前、「前の人には見向きもしなかったのに!」とびっくりされたが、私にひしっと抱きついて離れなかったカエデ。「普段はトライアルするけど、もう絶対大丈夫」とその日からずっと一緒に暮らしてきた。その後生まれた私の子どもたちの昼寝をいつも見守り、寒い朝は起きようとすると布団に私をとどめようとしてきたかわいいカエちゃん。犬のような猫だった。昨日の今頃は、当たり前のように足にまとわりついてきて、何も意識していなかったのに、本当に急に命って消えてしまうんだなあ。不意打ちも不意打ちで、わけがわからない。横では長女が朝からずっと泣いている。えんえん泣けるってすごい。私の心は、いったいぜんたい、彼の死をどんなふうに受け止めているんだろう。ただただ寂しいけれど、カエちゃんにとっては幸せしかない猫生だった気がするので、あまり悲しみすぎないでいたい気持ちもある。ふわふわな幸せを、13年間、毎日くれてありがとう。いつかまた会いたいです。

義実家が染みる

どうやったら毎日日記を書けるのだろうとうすぼんやり考え続けている。こんな私が続く方法を編みだせたら、「30年書けなかった日記が、毎日するする習慣化する本決定版」的な本を出して爆売れするかも。また1ヶ月前に書いた自分の日記を読んで、わりとおもしろくて安心した。今日日記を書けた理由は、土曜日なことと義理の実家で起きたからだろう。昨日は、17時から始まる大事なミーティングに間に合うように、子たちを早めに迎えてこっちに来たのだ。緊張するオンライン会議を終えたら、クリスマス会みたいな夕食でビールもあって、最高だった。夜は、Mと散歩してスーパーへ。ずっと買えていなかった防寒着もユニクロで買ってあげられて、都会の良さを満喫。たっぷり寝て朝起きて原稿を書いている。久しぶりに原稿を書くので、「私は書けるのか?」ということが不安でなかなか手をつけられなかった。何事も間があくとめんどくさい、こわい、みたいな気持ちがわいてくるけど、それって本当に余計なものでしかない。書いてみたら普通に書ける。そしてあらゆる原稿は、私は見積もった時間より早く書ける。見積もりが弱気すぎるのだ。自分は書けない、悩む、時間がかかる。書くことに関しては、かなり弱気。ほかのこと、人生全般に関しては見積もりが甘いことのほうが圧倒的に多い。とすると、どうしても弱気に考えてしまう慎重さを持ち合わせているからライターの仕事はなりなっているのかも。今年は急に目の前に大事な仕事がたくさん出現して、「私、書くことはそれほどでも。時間もないし、あまりやりません」みたいな態度だったが、やっぱり、書くことも大事だな。店長、「発酵デザイン」のtoBや広報あれこれ、プランナー、編集とライティング、全部をがんばりたい2026年。仕組み、も自分のなかで組み立てないとねぇ。今日はこれから100歳のおばあちゃんに会いに行ってきます。